ぽんこつたいむず

ポンコツ大学生[ぽん]の雑記ブログ

少年時代が地獄だった話

どーも[ぽん]です。僕周りの目に過剰にびくびくしたり、ちょっと強面の人がいたらめちゃくちゃ怖がったりするんですけど、多分だけどこれは小学生中学生時代の野球部の時に培われた(歪められた)ものなんだと思います

 

今回はそんな話

 

少年野球入団小学3年生~小学5年生

今思えば間違いとしか思えないが、小学校3年生の時、僕は少年野球チームに入った。

理由は多分従兄もやってたとか父が野球好きだったとかそんなん。別に誰かに進められたわけじゃないけど

 

どこの地域もそうなのかもしれないけどさ、うちの周りの地域はわりと低収入層が多く住む地域だったのでわりと万引きやら喧嘩やらが横行しているところだった

 

そんな地域の野球チームだからみんな大人しいわけがなく、ガラの悪い、将来はチンピラになるような奴らの集まりだった。特に僕らの1つ上は本当にどうしようもなかった

 

後輩をいじめるのは当然。パシリに使うのも当然。自分に都合の悪いタイミングでエラーしたりすると殴ってくる。まぁ気の弱い僕はずっとびくびくしてた

 

先輩も恐かったけど同学年と後輩も恐かった。驚くかもしれないけどそうゆうチームだと気の強い後輩は気の弱い先輩いびったりする。僕もいじめられる1人だった

 

まぁ喧嘩でもしなければ殴っきたりはしないけど、ミスするたびに怒ったり機嫌悪くなったりするもんだから野球の日が憂鬱で仕方なかった

 

そもそも入って1ヶ月で気づいたんだけど僕に野球の才能は全然なかった

 

人にできることが驚くほどできない。コーチからの指示の通りに体が動かない。これを運動神経のいい子は当然のようにこなすし、そんな才能のない僕のことを不思議に思う

 

そんな状況だったけど僕は少年野球チームをやめなかった。辞めたら負けとかそんな風に思ってたと思う

 

今思えばこの頃に僕の社畜的な精神が刻まれた気がする

 

元々が真面目だったのもあるけど、誰よりも真面目に練習に取り組んで、誰よりも真面目に家で自主トレしてた。多分毎日家でバットを300振ってたのはチームでも僕だけだった。自分だけ上手くプレーできないのが悔しかったから努力した

 

そのおかげか5年生になってから、チームのレギュラーとして使ってもらえるようになった。これは僕的にはかなり快挙だった。先輩恐いから全然嬉しくなかったけど親が喜んでくれるからこれも悪くないと思った

 

ただ、レギュラーの練習を見てくれている監督とコーチはこれまたコワモテで、時には小学生をぶんなぐったりしている。当時の僕は本当にその人たちを天災くらいに思ってビビっていた

 

レギュラーになってから(主に後輩)周りの気の強い連中からのいびりは少し減った。かなりほっとしていた

 

そんな感じでなんとか大きくいじめられることもなく僕たちは最上級生になった

 

そして僕は監督からの謎の評価によりキャプテンになった

 

監督に努力家なところを買われたらしい。努力だけでこの荒くれものどもをまとめられるわけないだろと思った。

 

そしてこれが地獄の始まりだった

少年野球6年生

キャプテンになった僕は今までよりも色々なものを求められるようになった。エラーするな。チームのメンバーに試合前の言葉を。青手チームへ挨拶。みんなをまとめる。いいプレーをする

 

無理だった。そもそも気が弱くて運動神経ないやつの言うことなんて誰も聞いちゃくれない。そのせいか僕らのチームはずっと一回戦負けだった

 

監督は僕がキャプテンになるまではわりと可愛がってくれてた。エラーしても次のプレーのことを話したり、バッティングが得意だったからそれをたくさん褒めてくれたり

 

でもキャプテンになってそれもなくなった

 

毎日毎日監督に怒られる。チームのメンバーからは不満の声が上がる。僕は守備が経験者とは思えないほど苦手だったのですぐエラーそて攻められる

 

練習の後には毎日家で泣いていた。練習試合の日は特に僕はエラーをしてしまうから余計辛かった。家で死にたくなった

 

僕の父も息子にキャプテンとしての色々なものを求めるようになった。息子に着たいするのはいいけどもっと限界をしってほしい。家でも僕はプレーや、チームをまとめる者として説教されることが多くなった。次第に家も落ち着ける場所じゃなくなった

 

こんなこともあった。ある日僕が守備が苦手すぎることを父が怒り、僕にノックをすると言ってきた。そのノックは僕の目の前3、4メートルからそこそこなスピードで行われた。めちゃくちゃ痛くて怖かった。本当にボールが恐くなった。完全に逆効果だった漫画「キャプテン」の読みすぎ

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参考画像

この頃から父のことが苦手になり避けるようになった。その微妙な距離感と苦手意識は22歳になった今もそのまま

 

キャプテンになってから4ヵ月ほどですでに限界だった。常にだれかに不満言われているじゃないかと思い、周りの目が気になりプレーに集中できなくなった。そしてエラーして怒られまた気にしてしまう悪循環に陥った

 

本当に守備が嫌いになって苦手意識が強くなった。ボールが向かってくるとエラーしたときのことがフラッシュバックして体が固まってしまうようになった。小学5年生の頃よりさらに下手になっていってんなぁって思った

 

それからは、まぁ引退まで同学年や後輩の悪口や不満を受け、監督やコーチからの精神的、肉体的暴力を受けながら必死に耐えた。辛かった

 

でもこのおかげで基本的に打たれ強くはなった

 

野球を始めたこと、キャプテンになったことは後悔している

 

中学野球部時代

中学生になって、なぜかまた野球部に入ってしまった。これについては本当にバカ。なんとなく野球は楽しいからってことで入った

 

入った中学校の野球部はうちの小学校と、さらに治安の悪い小学校の2つの小学校から生徒が集まる

 

そして野球部は教師が危険視するような、リンチやいじめ、万引きが蔓延る部活だった

 

どれくらい不良だったかというと校門の近くまではティンバーランドのブーツを履いていき、校門に近くなったら学校指定のシューズに履き替えるくらい(笑)

 

まぁ、先輩にちょっと歯向かったら部室でバットやボールで殴らる。同期の子がボコボコにされてて僕は空気として生きていくことを決めてた

 

本当にどうしようもない人らだった。先輩は暇になると僕らの体をバットで殴る遊びをした。ケツバットって知ってる?本来旧日本軍で行われた、気合を入れるためのものなんだけど、尻をバットで叩く。本気で振るわけじゃないし、尻は脂肪が厚いのでそんなに痛いものではない

 

僕らはそれを全力のフルスイングでやられていた。しかも気が向いたらバットを逆に持ってグリップエンドで僕らを殴った。それは本当に痛かった

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僕らの尻は赤とか青とか通り越して真っ黒なあざがたくさんあった。今思うとかなり異常な空間

 

先輩たちが早く引退することを願い続けていたけど、引退したらしたで後輩たちもかなりのワルだった。僕は一度もめて後輩たちに1対多数でボコボコにされたこともあった

 

野球をやっていたことを本当に後悔している

 

そして、僕は守備がからっきしだったので遂にスタメンから外されることになった。監督からも「お前を守備で使うことはない」と言われ、野球も好きじゃなくなった

 

うん。そんだけ。以上!中学時代までは後悔しかない地獄の日々でした

 

その代わり高校生活は本当に楽しくていい友人先輩後輩に恵まれた。その話もいづれ!

 

 

これでおわりでーす